〔人生で大切なものは〕
人生において大切なものは?と聞かれると、『健康』『人間関係』『時間』『お金』などと答える人が多いと思います。
もちろん、それらは全て大切なものです。
ただ、あまり取り上げられることはありませんが、『健康』や『人間関係』とともに大切なのが、『言葉』だと私は考えています。
言葉の持つ力
これまで書いてきたように、言葉を介して私たちは情報を受け取り、言葉を使って思考し、言葉を用いて表現するからです。
言葉の選び方で心を健康に保つこともできれば、言葉でコミュニケーションを円滑にすることもできます。
時間管理もお金の管理も、どんな情報を得るか、それをどう活用するかで結果が変わってきます。
ぞんざいに扱われる言葉
こんなに大切なものなのに、身の回りを観察していると、言葉はぞんざいに扱われているなあという気がします。
政治家など公の人物が言葉の使い方を誤って責任を問われることがありますし、受け取る情報にも間違いや適切でない言い回しが多くあり、これらにさらされている私たちは何が正しくて何を疑えばよいのかを考えるのがとても難しくなっています。
ましてや経験や知識の浅い子供達なら尚更です。
何もしていないようでも
何もしないでボーッとしているように見える時間であっても、頭の中では様々な思いや考えが巡っています。
そういう時にも頭の中では言葉を使っているわけですから、意識しようとしまいと、毎日毎時間、どのような言葉にさらされているか、どのような言葉を使うことを習慣としているかで、人生は変わってくるのではないかなと思っています。
不充分な内容
文科省が掲げる学習指導要領(これを元に公立学校は指導計画を立てます)には、国語科の目標に『知識及び技能』の項目があります。
これはひらがなやカタカナの読み書きなど、基礎になる部分で必要なものですが、学ぶ方法にはもっと工夫が必要かもしれません。
また、同じく学習指導要領の国語科に、『思考力、判断力、表現力等』の項目があります。
けれども、それがとても狭いもの(創造性のないもの)になっているように、私は考えています。
そして、国語科の目標に『学びに向かう力、人間性等』という項目があり、私は教員時代からこの部分に大いに疑問をもっていました。
どのような言葉を使うと良いのか
教職を離れて別の仕事を経験し、海外生活を経験する中で、日本の子供たちがどのような言葉を使う習慣をつけるとよいのか、改めて考えています。